2009年 09月 19日
水晶山 |
◆水晶山(すいしょうやま):958m 他の山の山行記リストはこちら
◆所在地:岐阜県恵那市岩村町
◆山行日:2009年 9月19日(土)
◆メンバー:単独
〔登山コース〕
女城主で有名な岩村城址と日本一の農村景観といわれる恵那市岩村町を訪ねながら、三森山と水晶山の2つの山にも登って来る計画で出かけました。
岩村ダムの駐車場から信仰の山・三森山へ先に登り、尾根伝いに水晶山を経由して岩村城跡へ下るコースです。
そして岩村城跡からさらに岩村ダムに戻らなければなりません。かなり長い距離を歩くことになるのでハイペースで歩くことにしました。
三森山山頂
昼食後、せっかくなので山頂から西へ少し行ったところにある帝釈天にも立ち寄ってみることにしました。
水晶山への方向とは違うので帝釈天まで往復し再びこの山頂に戻ってきます。
そして改めてこの三森山山頂をスタートし水晶山をめざしました。
〔三森山山頂 発=12:20〕
風車の大船山
水晶山への尾根筋で南側が開けたところがあります。そこから大船山の発電用の風車がたくさん立っているのが見えました。
三森山から水晶山への尾根道
尾根道はよく踏まれた道で迷うことはありませんでした。
このあたりはいい道でしたが、ところどころで片側が崩れ落ちているところもありました。
休猟区
休猟区という標識が設置されているところもあります。
鳥獣保護区と同様に個体数が減少している狩猟鳥獣(狩猟の対象となる鳥獣)の数を増加させる目的で指定されているようです。
〔休猟区=12:50〕
気持ちよく歩ける鈴ヶ根尾根
休猟区から鈴ヶ根尾根のあたりは広い稜線地帯で起伏もありません。
まだ遠い道のりが残っていたので急いでいたのですが気持ちよく歩くことができました。
〔鈴ヶ根尾根=12:55〕
岩村ダムへの分岐点
途中で岩村ダムへの分岐点に出合いました。
車は岩村ダムに置いてあるのでここからショートカットで戻れます。しかし、水晶山に登り、岩村城址へも行く目的があるのでここは直進します。
〔岩村ダムへの分岐点=13:00〕
水晶山の最高地点
少し登ったところの道端に三角点が設置されていました。
ここは水晶山の最高地点で標高は960mです。水晶山が958mですからここが2m高い最高地点ということです。
〔水晶山最高地点=13:10〕
水晶山山頂
かなり急いで歩きてきましたが、三森山から1時間かかってようやく水晶山山頂に着きました。
平坦な山頂なので山標がなければ通過してしまいそうなところです。
〔水晶山山頂=13:20~13:25〕
倒木を切り欠いた山道
水晶山山頂からは徐々に下りの傾斜が増し歩速が上がります。
山道の途中に倒木の幹を切り欠いて通り道にしたところがありました。大きい木なので撤去するよりも切り欠く方が作業が楽だったのではないかと思います。
岩村城からの登山口
やっと下りてきました。ここが岩村城址から水晶山・三森山への登山口です。
ここから舗装道路を歩いて岩村城址に向かいます。
〔岩村城からの登山口=13:50〕
岩村城壁
岩村城は城山の山上にあります。本丸が諸藩の居城中最も高い海抜717mに築かれた中世の城で、日本三大山城(他の2つは、岡山県の備中松山城と奈良県の高取城)の一つだそうです。
確かに苔むした石垣が累々とするさまは、なかなか重みのあるお城であることを感じさせます。
〔岩村城跡 着=14:00〕
岩村城跡
岩村城は悲劇の女城主の城として知られています。
信長は東美濃を押さえるため、岩村城主遠山景任に自分の叔母を嫁がせました。1572年に夫の景任が病死すると、嗣子がなかったため信長は五男の御坊丸を養子に据えました。そのため景任未亡人が御坊丸の後見人として実質的に女城主となったわけです。
しかしその後武田軍に攻められた女城主は和睦して敵将と結婚したのですが、今度は信長が岩村城を攻め落としました。信長は自分を裏切った叔母を許さず、彼女は夫・晴近や3人の武将と共に磔刑に処せられたというものです。
〔岩村城跡 発=14:10〕
田園地帯から望む水晶山
岩村城跡で悲劇の女城主に思いをはせたのち、日本一といわれる農村景観の中を岩村ダムへの道を急ぎます。
振り返ると黄金色の田んぼの向こうに水晶山が見えていました。
三森神社遥拝所
岩村城から岩村ダムまではなかなか遠い行程でした。
岩村ダムを起点に三森山へ登り、水晶山、岩村城跡、農村景観地区を通り時計回りに一周してきました。
2つの山とも山としては魅力的ではありませんでした。しかし、三森山からの農村景観の眺望や重みのある岩村城跡はなかなか印象的でした。
できれば日本一の農村景観を眺望できるという展望所にも立ち寄りたかったのですが、時間の関係で行けなかったのは少し残念ではありました。
◆所在地:岐阜県恵那市岩村町
◆山行日:2009年 9月19日(土)
◆メンバー:単独
〔登山コース〕
岩村ダム登山口―(30分)→浄水―(10分)→三森神社・眺望地(休憩10分)―(10分)→奥の院―(25分) →三森山山頂(昼食休憩20分)―(10分)→帝釈梵天―(5分)→三森山山頂―(40分)→ 岩村ダム分岐―(20分)→水晶山(休憩5分)―(35分)→岩村城址(休憩10分) ―(50分)→岩村ダム登山口〔所要時間〕 三森山~水晶山 全行程
4時間40分=(歩行時間=3時間55分、昼食休憩等=45分)
女城主で有名な岩村城址と日本一の農村景観といわれる恵那市岩村町を訪ねながら、三森山と水晶山の2つの山にも登って来る計画で出かけました。
岩村ダムの駐車場から信仰の山・三森山へ先に登り、尾根伝いに水晶山を経由して岩村城跡へ下るコースです。
そして岩村城跡からさらに岩村ダムに戻らなければなりません。かなり長い距離を歩くことになるのでハイペースで歩くことにしました。
三森山山頂
水晶山への方向とは違うので帝釈天まで往復し再びこの山頂に戻ってきます。
そして改めてこの三森山山頂をスタートし水晶山をめざしました。
〔三森山山頂 発=12:20〕
風車の大船山
三森山から水晶山への尾根道
このあたりはいい道でしたが、ところどころで片側が崩れ落ちているところもありました。
休猟区
鳥獣保護区と同様に個体数が減少している狩猟鳥獣(狩猟の対象となる鳥獣)の数を増加させる目的で指定されているようです。
〔休猟区=12:50〕
気持ちよく歩ける鈴ヶ根尾根
まだ遠い道のりが残っていたので急いでいたのですが気持ちよく歩くことができました。
〔鈴ヶ根尾根=12:55〕
岩村ダムへの分岐点
車は岩村ダムに置いてあるのでここからショートカットで戻れます。しかし、水晶山に登り、岩村城址へも行く目的があるのでここは直進します。
〔岩村ダムへの分岐点=13:00〕
水晶山の最高地点
ここは水晶山の最高地点で標高は960mです。水晶山が958mですからここが2m高い最高地点ということです。
〔水晶山最高地点=13:10〕
水晶山山頂
平坦な山頂なので山標がなければ通過してしまいそうなところです。
〔水晶山山頂=13:20~13:25〕
倒木を切り欠いた山道
山道の途中に倒木の幹を切り欠いて通り道にしたところがありました。大きい木なので撤去するよりも切り欠く方が作業が楽だったのではないかと思います。
岩村城からの登山口
ここから舗装道路を歩いて岩村城址に向かいます。
〔岩村城からの登山口=13:50〕
岩村城壁
確かに苔むした石垣が累々とするさまは、なかなか重みのあるお城であることを感じさせます。
〔岩村城跡 着=14:00〕
岩村城跡
信長は東美濃を押さえるため、岩村城主遠山景任に自分の叔母を嫁がせました。1572年に夫の景任が病死すると、嗣子がなかったため信長は五男の御坊丸を養子に据えました。そのため景任未亡人が御坊丸の後見人として実質的に女城主となったわけです。
しかしその後武田軍に攻められた女城主は和睦して敵将と結婚したのですが、今度は信長が岩村城を攻め落としました。信長は自分を裏切った叔母を許さず、彼女は夫・晴近や3人の武将と共に磔刑に処せられたというものです。
〔岩村城跡 発=14:10〕
田園地帯から望む水晶山
振り返ると黄金色の田んぼの向こうに水晶山が見えていました。
三森神社遥拝所
ゆるい傾斜をかなり登ったところにこの三森神社遥拝所がありました。ふだん山頂の神社までお参りするのはたいへんなので、ここ遥拝所から神様を拝むということなのでしょう。
岩村ダムの駐車場まではまだひと歩きが必要でした。出発してから5時間近くかかったことになります。
〔三森神社遥拝所=14:40〕
〔岩村ダム畔 着=15:00〕岩村ダムの駐車場まではまだひと歩きが必要でした。出発してから5時間近くかかったことになります。
〔三森神社遥拝所=14:40〕
岩村ダムを起点に三森山へ登り、水晶山、岩村城跡、農村景観地区を通り時計回りに一周してきました。
2つの山とも山としては魅力的ではありませんでした。しかし、三森山からの農村景観の眺望や重みのある岩村城跡はなかなか印象的でした。
できれば日本一の農村景観を眺望できるという展望所にも立ち寄りたかったのですが、時間の関係で行けなかったのは少し残念ではありました。
by motajii
| 2009-09-19 13:49
| 登山
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